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『問いの力』を見つめ直す─コーチとして「問う」とはどういうことか
2025.07.01

「問い」とは、ただ答えを得るための道具ではありません。
むしろ、問いはときに答えよりもずっと大切なものを明らかにしてくれます。
今回は、『QUEST「質問」の哲学』(エルケ・ヴィス著)と、禅宗で長く受け継がれてきた「禅問答」からヒントを得ながら、コーチとして“どんな問いを立てるか”というテーマで考えてみました。
1.「問い」の類比―ソクラテス問答と禅問答
「問い」はともに「考える場」をつくる:QUEST(探求)からの学び
『QUEST』は、「問いとは何か?」という非常に根本的なテーマを扱った一冊です。
タイトルの「QUEST」は、文字通り「探求」という意味を持ちながら、同時に「Question(問い)」と響き合っています。
この本が教えてくれるのは、良い問いとは「答えを引き出すもの」ではなく、「考えることそのものを開くもの」だということ。問いとは、相手とともに未知の地図を広げていく作業です。
例えば、
「それは、あなたにとってどういう意味がありますか?」
「その考えは、いつ・どこで生まれたものでしょう?」
こういった問いは、クライアントの“内なる風景”をともに見に行くための入り口になります。
問いを通して、コーチはただ答えを引き出すのではなく、“考えること”に寄り添います。
「言葉にならない」領域を問う:禅問答の視点
一方、禅問答にはまったく違う種類の問いがあります。例えば─
「父母未生以前の本来の面目とは何か?」
……なんのことやら、という感じがしますよね。
禅問答は、理屈やロジックを使って答えることを拒むような問いが多く登場します。そこには、「答え」を超えた「気づき」や「直感」を促す意図があります。
コーチングで言えば、
「その悩みを“あなた”がつくっているとしたら、どうしてでしょう?」
「“わたし”がいなければ、その問題は誰のものでしょう?」
こうした問いは、クライアントの思考の枠組みそのものを揺さぶります。ある意味、問いの力で「固定化された自己像」を解体するアプローチと言えます。
QUESTと禅問答の“あいだ”にあるもの
この二つのアプローチは、一見正反対のようですが、共通点も多くあります。
どちらも「問いを通じて、思考の枠組みを広げたり壊したりする」という点で一致しています。
どちらも「問いは目的ではなく、気づきのプロセス」であると考えます。
違いがあるとすれば、QUESTは「対話のなかで共に探る問い」、
禅問答は「自己の深層に揺さぶりをかける問い」。
だからこそ、コーチとしてこの2つをうまく“組み合わせる”ことができれば、とても力強い問いが立てられるようになると考えられます。
2.コーチングへの実践と応用
実践:問いを組み立てるヒント
では、実際のコーチングでどんな問いが考えられるでしょうか?
QUEST的な問い
「それは、いつ、どんな場面で起こりましたか?」
「それを選んだ理由は、何ですか?」
「その経験から、どんなことを学びましたか?」
「それは、あなたにとってどういう意味がありますか?」
「その考えは、いつ・どこで生まれたものでしょう?」
「私たちにとってどんな価値がありますか?」
これらは、相手の内的な意味づけや価値観にアクセスするための問いです。
禅問答的な問い
「“正しさ”を手放したとき、何が残るでしょう?」
「言葉にできないとしたら、それはどんな“音”や“沈黙”になりますか?」
「“あなた”がいなければ、その問題は誰のものになりますか?」
「その悩みを“あなた”が作っているとしたら、どうしてでしょう?」
「その想いを全身で表すとしたら、どうなりますか?」
こちらは、思考の外側にある領域を探る問い。
沈黙や混乱の先に、新しい「気づき」が生まれることがあります。
統合的な問い(QUEST × 禅)
「その“当然”は、どこからやってきたものでしょう?」
「何が変わると、何が変わらなくてもよくなるでしょう?」
「あなたが何も“せず”、ただ“在る”としたら、何が見えるでしょう?」
こうした問いは、思考と直感の両方を刺激します。
だからこそ、じんわりと深く、クライアントの意識の底に届くと感じます。
3.「問い」は技法ではなく、「在り方」から生まれる
禅問答から学ぶ「問い」のヒント──コーチングへの応用例
さらに禅問答は、答えを導き出すためではなく
「問いによって世界の見え方をずらす」ことを目的とします。
これをコーチングの場に応用すると、クライアントが持っている「自明の前提」や「思考の枠組み」に揺さぶりをかける問いへと展開できます。
“自己”に揺さぶりをかける問い
「あなたがいま抱えているその“課題”は、本当にあなたのものですか?」
「もし“あなた”がそこにいなかったら、その問題はどう存在するでしょうか?」
「“私とは何か”を言葉で語らずに、何かで表すとしたら?」
“言葉の外側”に開かれる問い
「その気持ちに“かたち”があるとしたら、どんな姿でしょう?」
「言葉にする前の“感覚”を、そのまま味わうと何が見えますか?」
「“正しい答え”がなかったとしたら、何が自由になりますか?」
“パラドックス”で視点をひらく問い
「一歩も動かずに、どこかに“行く”としたらどこですか?」
「迷うことが答えそのものだとしたら、どう感じますか?」
「問いに“答えない”ことで得られるものは、何でしょう?」
こうした問いは、準備されたテンプレートではなく、その場の「空気」や「沈黙」から自然と立ち上がることもあります。
「私は、次の問いを“探して”いるのか、それとも“待って”いるのか?」
問いを「使う」のではなく、「場に問わせる」。そんなスタンスでクライアントと対話してみると、思いもよらない深まりが訪れるかもしれません。
「問い」は技法ではなく、「在り方」から生まれる
良い問いは、決して「テクニック」だけでは生まれません。
コーチがどれだけ「わからなさ」に耐えられるか。
どれだけ「未完成のまま」相手と向き合えるか。その在り方が、問いの質を決めていくと感じています。
スペース(余白・間・沈黙)を創るということです。
コーチは問いを「使う」のではなく、そこに「ともにある」存在です。
問いを「使う」のではなく、「立ち現れる」のを待つ
禅問答的な問いは、準備されたテンプレートではなく、その場の「空気」や「沈黙」から自然と立ち上がることも少なくありません。つまり、「用意した問いを投げる」よりも、「問いが自然に立ち現れる余白を残しておく」ことが、禅的な問いの姿勢に近いとのことです。
まとめ
コーチとして「次に何を聞くか」に迷ったら、
こんな問いを自分に投げかけてみるのもいいかもしれません。
「私は、次の問いを“探して”いるのか、それとも“待って”いるのか?」
問いを「使う」のではなく、「場に問わせる」。そんなスタンスでクライアントと対話してみると、思いもよらない深まりが訪れるかもしれません。
そして、最後に次のセッションでひとつだけ、「答えを導くためではなく、考えることを開く問い」を投げてみませんか。そこに生まれる沈黙とまなざしのなかに、思いがけない変化の種があるかもしれません。
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